けっきょく伊勢神宮はヤマトタケルの女服に神威などみとめていない

いずれにせよ、話は霊験譚になっている。ヤマトヒメからわたされた剣には、霊力がある。その力で、ヤマトタケルはすくわれた。剣をさずげたヤマトヒメの存在はありがたい。神官の祭神であるアマテラスの神威も、あらたかであった。そんな話として、うたがいようもなく、くみたてられている。

しかし、その『倭姫命世記』に西征伝説はおさめられていない。クマソの前で女装におよんだ話は、はぶかれている。もちろん、ヤマトヒメがヤマトタケルへ女服をわたすシーンもない。女装をつうじたアマテラスの加護などは、まったく読みとれない叙述になっている。

9世紀初頭に、伊勢神宮は、ヤマトタケルの物語をとりいれなかった。だが、13世紀には『日本書紀』のそれを、くみこんでいる。のみならず、東征伝説に関しては霊験譚として活用した。

にもかかわらず、ヤマトヒメを顕彰すべきこの文献は、甥の女装に言及していない。ヤマトヒメのさずけた女服は、神威につつまれている。その神通力は、凶暴なクマソをも打倒する。以上のような形では、ヤマトヒメやアマテラスを賛美しようとしなかった。

けっきょく、伊勢神宮はヤマトタケルの女服に神威など、みとめていない。おそらく、皇子が女になりすます記紀の話を読んだ神官も、はやくからいただろう。しかし、女装の話が神宮やヤマトヒメの霊験譚にふさわしいとは、誰も考えなかった。皇子が女のふりをして敵をうつ話としてしか、感じとれなかったのではないか。

私は、これらの点からも通説をうたがっている。

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