一度は大敗しながらも勢力を拡大した頼朝

中でも、急速に勢力を拡大したのが関東の頼朝であった。

伊豆の代官を討って緒戦を勝利した頼朝は、石橋山(神奈川県小田原市)の戦いで大敗したものの、房総半島にわたって急速に勢力を拡大。三浦・小山・千葉・上総・畠山など有力豪族を従えて、わずか1カ月で南関東を制圧し、相模国鎌倉(さがみのくにかまくら=神奈川県鎌倉市)を拠点として武家政権の整備に着手する。

事態を重視した清盛は、新都の建設のさ中、平維盛(これもり)を総大将とする遠征軍を東海道に派遣する。

しかし、平氏軍が駿河国(するがのくに=静岡県)に着いたとき、同国の平氏方武士はおろか、石橋山で頼朝を破った相模の大庭景親(おおばかげちか)や伊豆の伊東祐親(いとうすけちか)の軍勢も壊滅しており、遠征軍は完全に孤立してしまったのである。