「石橋山・江島・箱根図」。狩野〈養川院〉惟信筆、東京国立博物館所蔵、colbase)
石橋山で敗退した源頼朝は、真鶴を経て海路で安房国(千葉県)へ渡る。絵は逃走する源頼朝を追う平氏方の武将たち(「石橋山・江島・箱根図」の一部。狩野〈養川院〉惟信筆、東京国立博物館所蔵、colbase)
石橋山で敗退した源頼朝は、真鶴を経て海路で安房国(千葉県)へ渡る。絵は逃走する源頼朝を追う平氏方の武将たち(「石橋山・江島・箱根図」一部。狩野〈養川院〉惟信筆、東京国立博物館所蔵、colbase)
『歴史と人物7 面白すぎる!鎌倉・室町』(中央公論新社)
富士川の戦い。20万騎を超える源氏の軍勢を前に、平維盛は撤退を余儀なくされる(図:『歴史と人物7 面白すぎる!鎌倉・室町』より)
頼朝は鎌倉に大倉幕府を建設し、ここを拠点として東国で地盤固めを進めていく(写真提供:写真AC)
平氏没落後、京の軍事指揮権を握った木曽義仲だったが、源義経らによる討伐軍相手に敗退。討ち死にした(図:『歴史と人物7 面白すぎる!鎌倉・室町』より)