石橋山で敗退した源頼朝は、真鶴を経て海路で安房国(千葉県)へ渡る。絵は逃走する源頼朝を追う平氏方の武将たち(「石橋山・江島・箱根図」一部。狩野〈養川院〉惟信筆、東京国立博物館所蔵、colbase) 
22年1月からNHKで放送中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』。平安末から鎌倉前期を舞台に、小栗旬さん演じる北条義時、大泉洋さん演じる源頼朝ら、権力の座を巡る男たち女たちの駆け引きが三谷幸喜さんの脚本で巧みに描かれて人気を博している。本連載では源平の争いから鎌倉幕府誕生まで、その行方を左右した「合戦」を中心に、歴史をひも解いていく。第二回となる今回は、石橋山で平家方の大庭景親、伊東祐親らに惨敗した源頼朝が復活し、関東制覇を決定づけた富士川の戦いについて。

諸国の武士が次々に蜂起!源平合戦はこうして始まった

平清盛による後白河法皇(ごしらかわほうおう)幽閉後、京では平氏への不満が募っていた。

治承(じしょう)4年(1180)、後白河法皇の子・以仁王(もちひとおう)が平氏討伐の令旨(りょうじ=皇子や皇后の命令書)を全国の武士に発した。

この謀反はすぐに露見し、王に味方した源頼政(みなもとのよりまさ)は滅ぼされたが、京の防衛に不安を覚えた清盛は、急遽、安徳天皇(あんとくてんのう)以下、法皇や平氏一門を連れて摂津福原(せっつふくはら=神戸市)へ向かう(福原遷都)。

しかし、平氏の独裁政権に対する反発は急速に高まり、8月に伊豆国(いずのくに=静岡県)の源頼朝が挙兵したのをはじめ、信濃国(しなののくに=長野県)の木曽義仲(きそよしなか)、甲斐国(かいのくに=山梨県)の武田信義(たけだのぶよし)など諸国の武士が次々と蜂起し全国的な内乱に発展する。

治承・寿永(じゅえい)の乱(源平合戦)の始まりである。