望むのはやさしい夫との普通の会話
リビングを逃げ出て、廊下の隅に追い込まれた私は、その場にあった毛布を頭からかぶった。夫は廊下の障子を切りつけながらどんどん近づいてくる。「あー、このまま死ぬんだな」という思いが頭をよぎるとともに、こんな形では絶対死にたくないと思った。
私は廊下に額を擦りつけ、「命だけは助けて」と懇願。すると夫は少しだけハッとして、ようやくリビングに戻って行ったのである。
すかさず私は2階へ駆け上がった。外に飛び出せば、逆上してまた追いかけてくるような気がしたのだ。ひとりで打ち震えながら、「ああ、助かった」という安堵感に包まれた。と同時に結婚して家を出た娘の顔が浮かび、「警察に言ったら娘の将来が大変なことに。自分ひとりで耐えればなんとかなる」と猛烈に思い込んだのである。結局警察に通報することなく、あれから8年が過ぎた。
夫は以前のように包丁を振り回すことはなくなったが、生活態度は変わっていない。しかし、いまだに離婚に踏み切れない自分がいる。60歳を過ぎて看護師を定年退職し、経済的にも困っていない。
「もう我慢しないで自分の人生を楽しめばいいのに」と兄妹や娘らも言ってくれる。ごもっともな意見だと自分でも思う。一回しかない人生、こんな生活になんの未練があるのだろう……。
今の私の夢はとてもささやかだ。小さなアパートに暮らし、持ち物は必要最低限のものだけでいい。ただし、毎日心穏やかに過ごす時間と、目の前のこの人とは違う、やさしい夫との普通の会話がほしいと願っている。たわいもない出来事に対し、夫とともに喜んだり、悲しんだりできたら、どんなに幸せだろう。
思い起こせば、結婚前から夫に対して嫌な予感がしていた気がする。夫は何もせず、ただただ親のいいなりだったのだ。破談にしたいとも思ったけれど、親が借金までして揃えてくれた花嫁道具や衣装を前に、言い出せなかった。
私は人生の大事な場面に直面すると、頭のどこかで「ええい、どうにかなるさ、ケセラセラ」と思ってしまう性分なのかもしれない。きっと今後もどうしようもない夫の世話をしながら、「ケセラセラ」と穏やかな日常を夢見て生きていくのだ。