「毎日練習しなさい」と先生が言った合理的な理由

だがそんな我が心の声が聞こえたのか、すかさず先生が説明してくださった理由を聞いてガックリとうなだれる私。「毎日」とおっしゃったのは決して根性主義でも何でもなかった。実に合理的な理由があったのだ。

『老後とピアノ』(著:稲垣えみ子/ポプラ社)

ピアノは練習すれば上達する。でもその上達は、練習を終え時が経過すれば徐々に消えていってしまう。なので、完全に消えてしまう前に再び練習することが大事なのだ。それを繰り返して初めて「上手くなって」いくことができる。

「5分でもいいので1日1回はピアノに触ったほうがいいですネ」

なるほど恐ろしいほどわかりやすい。そしてもしそうなら、私には他に選択肢はなかった。何しろ1年で「月の光」を弾くという目標があったのだ。で、私はほぼゼロ地点にいた。となれば、日々少しでも「上手くなって」いかなければ、「月の光」という山の頂上に立つことなど永遠にないことは明らかである。

というわけで、この翌日から私は本当に毎日ピアノに向かうこととなったのだ。

今にして思えば、この時が人生の分水嶺(ぶんすいれい)であった。

5分どころか、以来、来る日も来る日も最低2時間はピアノに向かっている。真面目だからとか熱心だからということではなく、5分ぽっちではとてもじゃないが進歩など望めないことがすぐにわかったからだ。

この「毎日」の強迫観念は凄まじく、旅先でも練習スタジオをネットで検索し、観光もそこそこに息苦しい防音室にこもって練習に勤しむ有様である。全く人の言葉とは恐ろしい。先生の一言で、あっさり人生の12分の1をピアノに捧げているのである。ピアノに人生を乗っ取られたと言っても過言ではない。

そして確かにやってみれば、先生がおっしゃった通り、少しずつ上達しているような気はする。いや、きっと上達しているに違いない。そうじゃなきゃやってられません。

だが断っておきたいのは、それは恐ろしいほど「ちょっとずつ」でしかないということだ。メキメキ上手くなるなんてことは、残念ながら全くない。で、これがまた恐ろしいところで、これほどやってその程度なのだから、サボったりしたらどれほど酷いことになるかと考えざるをえない。

ということで、結局毎日練習するしかない、1日だってサボりたくないということになって今に至るのである。