何を弾いても自由です

「当たり前じゃねーか」と言われそうである。もちろん、当たり前だ。現代日本に生きる我らは自由。何を弾こうが弾くまいが、逮捕されたり死刑になったりすることはない。弾きたいものを弾けばよろしい。

「何を弾こうが弾くまいが自由!我ら大人に残された時間は無限ではない!」と語る稲垣さん(写真提供:著者)

だがしかし。この当たり前のことが案外当たり前じゃない。

というのも、40年ぶりにピアノの練習を再開したことを誰彼となく自慢すると、必ずと言っていいほど「いいなー」と言われ(もちろんそう言って欲しくて自慢してるわけなんだが)、その後に必ず返ってくる言葉がこれだ。

「でも指が動くかなー」

「ハノンとか死ぬほどヤンないとダメなんだろうなー」

わかります。痛いほどわかりますよその気持ち! だって私もまさにずっとそう思っていた。

それほど、子供の頃にピアノレッスンを経験した我らが頭の中には「ピアノの練習=まずハノン」という図式がこびりついている。まずは指の基礎訓練から。それができて初めて走ったり飛んだりできるのだ。

すぐ何かが弾けるなんて思ってもらっちゃ困る。甘くねーんだよピアノってもんは……ということを、あのおっそろしい先生たちから骨の髄まで叩き込まれたのである。

で、今だってもちろんそのような考え方は生きていると思うし、それはそれで一つの方法である。

だがしかし。こと中高年の方に限って言わせていただくならば、今の私は声を大にして言いたい。そんなことはやらなくてもいいんです! もうまっすぐに好きな曲、弾きたい曲へと向かっていけばよろしい。

理由はただ一つ。我らもう子供ではない。我らに残された時間は無限ではないのだ。人生とは後半戦に入ればいつコールドゲームになったっておかしくないものと覚悟せねばならない。早い話が、いつか弾きたい曲を弾くためにまずハノンに懸命に取り組んだところで、その「いつか」がやってくる前に人生は終わるかもしれないんですよ。

それでも、ハノン、やる?

……やる! というならもちろんそれもよし。何を弾こうが弾くまいが自由なのだから。

でも私はそうしなかった。そう本当は子供の頃だって、もし許されるなら、あんな退屈なことはすっ飛ばしていきなり弾きたい曲を弾きたいとずっと思っていた。そうもし、そんなことができるなら……。