21年の4月に亡くなった橋田壽賀子さんは、夫に先立たれて身寄りがなく、「管に繫がれて死を待つくらいなら安楽死がしたい」とおっしゃっていました。でも、ご自宅で穏やかな最期を迎えられたと。案ずるより産むが易しで、心配せずともお迎えが来たら死ぬことができるのだと、少し安心しました。

瀬戸内 もちろん病に苦しんで亡くなる人もいます。姉もそうでした。だけど、死んだらね、みんな安らかな顔になりますよ。

 私、終活じゃないですけど、コロナを機に断捨離をして、ずいぶん持ち物を始末したんです。着物は親戚の若い人にあげました。先生は断捨離を始めていますか?

瀬戸内 とっくにやりましたよ。51歳で出家した時に、着物から何から全部人に譲ってしまった。若い頃に小田仁二郎からもらったラブレターや、手書きの原稿も徳島県立文学書道館に寄贈していますし。

 先生が出したラブレターはまだ誰かが持っているんですよね?

瀬戸内 いや、私は出さないのよ。だって奥さんがいるんだから出せないじゃない。

 自分がもらったラブレターだけ文学館に(笑)。じゃあ、物は整理していらっしゃるとして、ここはどうなさるんですか?

瀬戸内 寂庵は、保育園にしたらどうかと思っているのよ。

 え? 保育園ですか?

瀬戸内 まなほがいつも息子を保育園に預けていて。「保育園がなかったら、私は働けない」と言うの。だから、保育園はもっと作ってもいいと思ったんです。

 そういえば、私が通っていた保育園はお寺が運営していました。お堂にお布団を敷いて寝て。「ののさまは 口ではなんにもいわないが」と仏教童謡を歌っていました。

瀬戸内 ね、いいアイデアでしょう!