妻は舅や姑に暴言を吐いただけでも斬首刑
もちろんすべての嫁姑関係が悪かったわけではない。
たとえば漢代には、周青(しゅうせい)という嫁が姑にたいへん孝行を尽くし、姑は「私も年だし、若い者に迷惑をかけつづけるわけにはいかない」といって自殺したほどである*2。結果は悲劇であるものの、嫁と姑の関係は良好すぎるほどであったわけである。
このほかに、ある寡婦は姑から再婚をすすめられたが、姑の世話をしつづけるといって聞かず、さもなくば自殺するとまでいい、28年間も亡き夫の母の面倒をみつづけたとか*3。
また河南郡の楽羊子(がくようし)の妻も姑に尽くしたことで有名である。
よそのニワトリが庭に迷いこんだとき、姑がそれを殺して食べようとすると、「私どもが貧乏ゆえ、義母さまに他人の鶏肉を食べさせることになった」と泣いたため、姑は鶏肉を捨てた。さらに強盗が家にやってきたときは、身を挺して姑を守り、あげくに自殺したため、強盗は逃げたという*4。
このように姑に尽くす嫁がいる一方で、嫁に配慮する姑もいた。
ある姑は実家の祭祀を手伝うため、夕方までに帰るといって家を出た。じっさいには夕暮れまえにムラ近くまでもどってきたが、その日は祭日で、ムラに残された嫁は宴会の真っ最中。そこで姑は、自分がいては嫁がリラックスできないと配慮し、ムラの門外で夕方まで時間をつぶしたという*5。
以上のように、嫁と姑のなかには良好な関係を保っている者もいた。だがそれはやはり異例であった。だからこそ、そうした記録があえて史料に特筆されているわけである。
しかも漢代においては、妻は舅や姑に暴言を吐いただけでも斬首刑であり、妻が姑のことを官府に訴え出ても、基本的には受理さえされなかった*6。