新しい病院で出会った教祖様
記憶では、新規の場合、初診まで3ヵ月以上も待たなければなりませんでした。初診の患者を受け付けるのも月にわずか2日だけだったかと。最初の結婚に失敗した後は、仕事を目いっぱい入れることで「私は惨めじゃない」と言い聞かせていた私。妊娠→出産という目標が新たに加わるも、仕事をセーブしたり、スピードを緩めたりする《頭の切り替え》が、なかなかうまくいかなかったのも事実です。
いま振り返ると、この優柔不断さは、仕事先にも多くの迷惑をかけた気がします。たとえば、「10月から始まる番組の放送作家を」というオファーを2ヵ月前に受けたとしても、(病院通いがあるかもしれない)と思うと、受けられないのです。断る理由として「いま、不妊治療をしていて」と伝える勇気もありませんでした。だからケータイに何度着信があってもスルーをしてしまって……。一部の人の間で、当時、私の評判は最悪だったと思います。
痛すぎた人工授精のこともまだ記憶に新しく、申し込んで、やっと返事をもらって、電車で小一時間かけて行ったクリニックは、ずいぶん古い建物で、院長先生は当時70代だったと記憶します。
そこでの院長と多くの患者の様子は、まるで教祖様と信者のようでした。でも、そこでも私の体はデータ上では《優等生》だったのです。基礎体温のグラフも正常だったし、処方された排卵誘発剤の反応もとても良かった。「×日が、その日」と言われ、いわゆるタイミング法を試しましたが、なかなか妊娠には至りませんでした。
その内先生から「仕事なんかしているから子どもができない」と何度も言われるようになり、「貴女と同じ仕事をしている人からだよ」と、診察室で地方住まいのライターさんからの《御礼状》の音読を命じられたこともありました。「先生に言われたとおり、仕事を辞めたら子どもができました」という内容でした。