秘湯マニアの温泉療法専門医が教える-心と体に効く温泉

●湯河原温泉(神奈川県足柄下郡湯河原町)

湯河原温泉には役の行者発見説、弘法大師や行基による発見説、二見加賀之助重行(ふたみかがのすけしげゆき)発見説など、複数の開湯伝説がある。開湯は約1300年前と言われている。

「足柄(あしかり)の土肥(とひ)の河内(かふち)に出づる湯の世にもたよらに子ろが言わなくに作者不詳(巻一四― 三三六八)」

(足柄の土肥の谷間に湧き出る湯のように、ほんのちょっとでも揺らぐ気持ちをあの娘は言ったわけでもないのに〈私は心配だ〉)

温泉のコンコンと湧き出している様子を詠ったものは、万葉集中この1首のみである。「足柄(あしかり)」は足柄(あしがら)の訛り、「土肥」は湯河原一帯の旧名、「河内」は上流の谷あいの平地。自分が想いを寄せている女性が、温泉の湯煙のように他の男性に揺らぎはしないかと、いつも不安な気持ちに駆られている男性の歌である。

この「河内に出づる湯」のところが湯河原温泉発祥の地か。歌碑は竹内栖鳳(せいほう)の揮毫(きごう)で湯河原町の「万葉公園」内の「文学の小径」に建てられている。

江戸時代(嘉永4年)の温泉番付では湯河原温泉は東の4位の前頭(最高位の大関は草津温泉)にランクされており、昔から創傷治癒に効果のある「傷の湯」として知られ、日清・日露戦争の際には傷病兵の療養地に指定された。

現在では千歳川とその上流の藤木川を挟んで、4キロにわたり大小取り混ぜ約130軒の旅館・ホテルが建ち並んでいる。千歳川が神奈川と静岡の県境をなしているので、温泉街は神奈川県と静岡県にまたがって存在している。藤木川の川沿いにある旅館街は起伏に富んだのどかな雰囲気に包まれ、文人墨客(ぶんじんぼっかく)に愛された老舗の高級旅館が多い。

明治時代以降では、国木田独歩が晩年に『湯河原より』『湯河原ゆき』などの短編小説を執筆した他、夏目漱石が絶筆となった『明暗』を湯河原で執筆している。島崎藤村、芥川龍之介、谷崎潤一郎らも逗留。また、万葉公園内には国木田独歩に因んだ足湯施設「独歩の湯」がある。足裏のツボを刺激する数種類の足湯があり、温泉に足を浸し、足裏をマッサージすることで健康回復を促す施設である。他にも、日帰り入浴施設には古来有名な「こごめの湯」、「ゆとろ嵯峨沢(さがさわ)の湯」「湯河原ラドンセンター」の3カ所がある。

独歩の湯 万葉公園(写真提供◎写真AC)