●二日市温泉(福岡県筑紫野市湯町)

歴史上の記録で「二日市温泉(当時は次田(すきた)の温泉(ゆ)」が現れてくるのは、大伴旅人が万葉集で詠んだ次の歌が初めてで、太宰府遺跡の南、2キロほどのところにある。

「帥大伴卿(そちおおともきやう)、次田の温泉に宿り、鶴(たづ)が音(ね)を聞きて作る歌一首 湯の原に鳴く芦田鶴(あしたづ)はわがごとく妹(いも)に恋ふれや時わかず鳴く(巻六― 九六一)」

( 太宰帥(だざいのそち)大伴卿が次田の温泉に泊って、鶴の鳴き声を聞いて作った一首。湯の原に鳴く葦辺の鶴は私のように妻を恋い慕うからか、時の区別もなく鳴いている)

「妹」は男性にとって愛しい人。つまり「妻」。「時わかず」は「時の区別もなく」の意。

神亀4年(727)の暮れ、大伴旅人は太宰府の帥(長官)として筑紫に赴任した。筑紫行きに伴った妻大伴郎(いらつめ)女は不幸にも翌年の4月に亡くなった。亡き妻を恋い偲び、深く悲しい自分の境遇を、湯の原で鳴く鶴の声に託して詠んだ歌である。

歌碑は筑紫野市の「パープルホテル二日市」の前に建てられており、筑紫野市文化会館前には、もう一基、旅人が妻を偲んで詠んだ歌碑がある。

「橘の花散(ぢ)る里の霍(ほ ととぎす)公鳥片恋しつつ鳴く日しそ多き(巻八― 一四七三)」

(橘の白い花が散る里のホトトギスは無益な片思いをしながら鳴く日が多いことよ)

二日市温泉の開湯は約1300年前の奈良時代と言われている。この地の豪族藤原虎麻呂の娘が腫れ物に苦しんでいたので、虎麻呂が武蔵寺(ぶどうじ)の薬師堂に籠もって病気治癒を祈願したところ、薬師如来が夢枕に立ち、お告げによって温泉を発見し、その温泉で娘の腫れ物が全快したという伝説が残っている。古くは「次田(すきた)の温泉(ゆ)」「薬師温泉」、近世では「武蔵温泉」と呼ばれ、江戸時代には、筑前藩主・黒田家専用の「御前湯」が置かれており、「二日市温泉」と命名されたのは昭和25年になってからのことである。

二日市温泉は、明治22年の九州鉄道(現JR)の開業をきっかけに温泉観光地として発展を遂げるようになった。福岡市の中心部から30分足らずで行けるところから「福岡の奥座敷」とも呼ばれ、昭和天皇、江沢民、美空ひばりらも宿泊した「大丸別荘」をはじめ11軒の旅館・ホテルと、「博多湯」「御前湯」など4カ所の日帰り入浴施設がある。

※本稿は、『秘湯マニアの温泉療法専門医が教える 心と体に効く温泉』(中央新書ラクレ)の一部を再編集したものです。