写真提供◎山田さん 
放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。意外にも、小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第6回は、「不妊治療に振り回された日々のこと」です

不妊に「いい」と言われるものは全部試した

「誰かに効いた薬や治療が、貴女に効くとは限らない」

長引く不妊治療で、誰かに話を聞いてもらうたび、堰を切るように号泣していた頃。あるメンタルクリニックの女性医師が私にかけてくれた言葉です。

40代を迎え、自分自身、さらに焦りを感じると共に、家族や周囲から、よりプレッシャーを感じとっていた私は、一日も早い妊娠と出産を強く望むようになっていました。

同時に、「私は人より、たくさん情報が入ってくるところで仕事をしている」「自由になるお金だってある」とも思っていました。病院で度々顔を合わせ、話をするようになった《不妊友達》の中には、「卵がとれてもとれなくても、体外受精はあと3回と決めている。理由は、お金」という人が居ました。1回40万円前後の費用は、家計に大きくのしかかります。

私は今より、もっと働いていた頃だったので、正直、自由になるお金がありました。お医者様たちもそれを知っていて、毎月のように手術や体外受精を私に勧めていたふしがあります。それでも、チャンスが多いのはいいことだと思っていました。

その一方で、「よりチャンスの場を増やそう」と欲張っていたのも事実。私は産婦人科の病院以外に、西洋、東洋医療にかかわらず、「いい」と言われる薬や治療法に次から次へと通いまくりました。いろいろな方法に「手を出していた」という表現が正しいかもしれません。