「純文学の編集者には『もっと舞台を選びなさい』と叱られもしたけれど、『はいはい』とだけ答えて、せっせとポルノを書いていました」(宇能さん)

近藤 2006年に夕刊紙の連載を終えられてからは、家づくりに没頭されて。こちらのご自宅は、設計や現場監督もご自分でなさったそうですね。

宇能 何でもできる器用な大工さんをひとり雇い、僕自身もセメント袋を運んでセメントをかき混ぜたり、泥だらけになってプールを掘ったり。コツコツ作業して、安く仕上げました。建築マニアといえばバイエルン王ルートヴィッヒ2世がいますが、彼は国の税金でノイシュヴァンシュタイン城を建てた。僕は税金を納めながらこの家を建てましたよ。

近藤 つまり「鯨神」のような純文学だけをお書きになっていたら、実現できなかったと。

宇能 できません、できません(笑)。純文学の編集者には「もっと舞台を選びなさい」と叱られもしたけれど、「はいはい」とだけ答えて、せっせとポルノを書いていました。連載は2006年でやめて、ここ10年は、新選組と福沢諭吉、大隈重信の関係を取材しています。発表するにはしばらくかかると思いますが、コツコツ書いていますよ。

 

我慢するのはやめました

近藤 今日お目にかかって驚いたのは、87歳というご年齢が信じられないほどお元気なこと。何か秘訣があるのでしょうか。

宇能 ヨハン・シュトラウス2世に、「酒、女、歌」というウインナ・ワルツの名曲があります。冒頭の「酒と女と歌を愛さぬ者は、生涯馬鹿で終わる」という歌詞は、まさに僕の生き方そのもの。それを思う存分楽しむために、45年間ひたすら注文に応え続けたといえるかもしれません。最近、「女」はもっぱらダンスだけですが。

近藤 姿勢の美しさは社交ダンスのたまものでしょうか。ダンスはいつお始めに?

宇能 学生時代です。われわれの世代は基本的に、社交ダンス以外に女性と親しくするチャンスがありませんでしたから。そもそも東大生は、青山や慶應と違ってモテなかった。