15人の《不妊友達》

不妊治療の渦中、私を救ってくれた人たちがいます。それは医師でもカウンセラーでも占い師でもなく、最後、私がもっとも熱心に通い、治療を受け、体外受精を何十回も試みた大病院で知り合った15人の《不妊友達》。年齢も環境も症状も異なる彼女たちでした。

いちばん初めに友達になってもらったのは、計3件のクリニックで見かけたことがある一つ年上のHさんです。彼女はとにかく明るい人で、医師や看護師さんに何か質問する声も大きくて、ハキハキしていました。
当時の私と言えば、彼女とは正反対で、いつも下を向き、仕事場で男性スタッフからちょっとからかわれただけでヒステリックな声をあげ、大泣きしていたので、彼女をすごいなと思っていました。

また、ある著名な女性が高齢出産した話を同僚がし始めたときは、それから2週間、会議も本番立ち合いも食事会もズル休みしました。子どもができない自分は彼らに笑いのネタにされているのではないか、と恨んだこともありました。完全な被害妄想でした。

そんな私に比べて、Hさんはいつも明るかった。私は自分から彼女に声をかけ、電話番号を交換させてもらいました。明るいトーンの彼女の声を聞くだけで、どれだけ助けられたことか。以来、私は、喋り出しの声を高くハッキリ出そうと心がけ、いまも続けています。テレビやラジオで話す機会が多い私にとって、これはものすごい財産になりました。

前述の「体外受精はあと3回と決めている」Tさんは私より5歳上でした。本当に真面目な方で、医師からの説明をいつもノートに記し、よく見せてくれました。ドンブリ勘定で、何かにつけていい加減な私は大違い。生活者として地に足を着けているTさんからも多くのことを学びました。異業種というだけでなく、学校の友達だったら確実に別のグループになってしまいそうな私をTさんはいつも受け止めてくれました。

もっと若いお友達もいました。Cさんは、私たちグループの中では《好成績》で、彼女の妊娠の知らせを耳にしたのも一度や二度ではありませんでしたが、結局は出産に至りませんでした。でも彼女は絶対に涙を流さず、いつも辛い《結果》を私たちに伝えてくれました。「なにかの参考になればいいと思って」と。

(写真提供:写真AC)