身体の内部を見ることができるのは医師に与えられた特権
坂井 当たり前のことですが内臓は機能も、病気も、病気の後の回復の仕方もそれぞれ違います。一旦病気になって良くなる内臓もあれば、組織が壊れてしまうと元に戻らない内臓もある。そしてそれも新しい発見や技術によって日進月歩で変わっていく。腎臓を例に取ると、昔は腎臓がやられると天国に行ってしまった。でも透析技術ができて、腎臓の機能がだめになっても生きられるようになった。そして今は、腎臓はそもそも歳をとれば悪くなるものだと諦めて、他の臓器が力尽きるまで頑張らせられればよい、という学説になっています。そんな内臓のダイナミズム、「内臓たちも健気にそれぞれ頑張っていますよ」というのを解剖学者として皆さんに知っていただきたい思いもありました。
山本 坂井先生はなぜ解剖学を志されたのですか?
坂井 私は「病気を治したい!」という熱い思いで医学部に入ったわけではないのです。生物学や進化学が好きだった僕に、兄が「まず医者になってから研究をしたらいい」と言いました。兄は物理学を専攻して、当時流行の素粒子を研究していたのですが、それでも就職には苦労した経緯があって、そんなアドバイスをくれたんです。なるほど一理あると思って東京大学の医学部に入学しました。医学部で学ぶ内に「臨床医としての自覚が芽生えるかな?」と考えていたのですが、6年間あっという間に過ぎてしまって。学生の時に出入りしていた解剖学教室にお誘いいただいたことで、ぬくぬくと研究畑に居続けてしまいました。
山本 私も子どもの頃から医学そのものに興味がありました。「医師になれば一生好きな学問を学べるんだ」という期待があって医学部を目指したところがあります。
坂井 私たち、どうやら似たもの同士ですね。(笑)
山本 光栄です。坂井先生の『図説・医学の歴史』も繰り返し読んでいる私の愛読書です。先生はいつから医史学をご研究されているのですか?
坂井 私が1993年、最初に書いた『からだの自然誌』という本の編集者に「昔の医師たちは解剖が医学に役に立つかどうかは知っていたのでしょうか?」と聞かれたのがきっかけです。最初に医学のために解剖をしたのはガレノスとハーヴィーだろうとなり、彼らのことを調べて本に書きました。それから赴任した順天堂大学で医史学研究室の酒井シヅ先生と知り合い、医史学の世界に足を踏み入れて、ライフワークとなりました。
山本 なるほど。