坂井 昔、医師は「体を治したい」「命を助けたい」というミッションのもと、身体の中身を見ずに経験から学んだ方法で薬草などを駆使して、医療行為をしてきました。それから解剖をするようになって、いつの間にか医学にサイエンスが入り込んできて、今はサイエンスによって飛躍的に発展を遂げています。

山本 そうですね。医学の歴史を学ぶと、医学が徐々に化学や物理のようにサイエンスの一角を担う学問に様変わりしていく経緯が分かり、非常に面白いと感じます。こうした学問の魅力を体系的に学べるのが坂井先生の本です。

坂井 褒めて頂きたいところをお褒めいただいて、大変有難いです。(笑)

私たち医師は、現代では当たり前のように解剖をしています。でも実は身体の内部を見ることができるのは医師に与えられた特権ですね。

山本 そうですね。

坂井 私がいつも見ているのは亡くなられた後の体で、山本先生が見ているのは生きている最中の体、というのは違いますけれども。解剖学は医学部で最初に学生が体験する実習科目です。かつて喜怒哀楽を経験した一人の人間だった人体が自然物として、観察対象として、目の前に横たわっているというのは誰にとっても鮮烈な体験です。山本先生は最初にどのようにお感じになられましたか?

山本 とても衝撃を受けたことを覚えています。自然界にある一つの有機物に過ぎない人体を解剖しているはずなのに「ああこの方にも家族がいて友人がいて人生があったのだ」という思いが去来しました。遺伝情報を引き継ぐのがただの酸性の化学物質(核酸)に過ぎないという事実と、これまで人間が築いてきた豊かな歴史の営みとの隔たりには今でも新鮮に驚いてしまいます。

坂井 医学はこの数十年でも目まぐるしく進化して変遷していますね。私と山本先生の世代間でも大きな違いがあり隔世の感を禁じえません。私の時代はまだまだ経験に頼っていたので、見立てのいい医者もいればヤブ医者も多かった(笑)。当時は死後に病理解剖をしてやっと、医者の見立てと実際の身体の中の状態に相違がなかったかどうか、わかったんです。どんな名医でも当然「誤診」があった。2、30年前からCTやMRIという画像診断の機器が普及したことにより、どのような医者であっても身体の中身を見ることができるようになりました。今の世の中で、あってはならないとされる「誤診」と、画像診断がなかった時代の「誤診」では全く意味が違うんです。

山本 確かにそうですね。病気ごとの治療のガイドラインも確立されて、《医療の均てん化》がとても行き渡ったように思います。