このタイミングで意を決し、「通帳の暗証番号を教えてください。それと、駐車場を売ったお金もいただかないと困ります。お金がなくて治療費も学費も払えないんです」と訴えると、次男に「うるせえ! ガタガタ言うんじゃねえ!」と大声で怒鳴られ、私はあまりの恐ろしさにその場を逃げ出してしまった。
東京に住む長女に話すと、弁護士を頼もうと言われ、「このままではいけない!」とようやく正気に戻れた。相談した弁護士がすぐに動いてくれたおかげで、無事に通帳と暗証番号を入手でき、駐車場を売ったお金も私の手に入った。
とはいえ、これからは私が働かなければならない。夫に代わって不動産業を引き継ごうと腹をくくり、仕事を細々と再開。姑にテナントの家賃収入の半分を渡さねばならず、取引先への支払いもしなければならずで、四苦八苦の日々がスタートした。
しかし、夫が倒れてから2ヵ月も経たないうちに三男の口腔がんが発覚、1年後に亡くなってしまったのだ。姑はこの時も見舞いにほとんど行かず、臨終の際も医者から「手を握ってあげて」と注意されるほどだった。夫のときも然り、わが子に対しての冷淡さはどうしても理解できない。
三男の死後すぐ「私はもうここには帰らないけど、テナント料は毎月振り込むように」とだけ言い、次男と東京に去って行った姑。3年半の入院生活を経て、ようやく在宅介護になった夫に対しても、いまだ気にかける様子もない。「人間の皮をかぶった悪魔」という言葉が浮かんだ。