「新幹線で赤ちゃんを癒すYouTube」や吉本興業の「伝説の一日」でも話題の「お笑い怪獣」明石家さんまさん。山田さんは新人のころから交流があったとか。放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第8回は「神対応ではなく〈神〉明石家さんまさんのこと」です。
出会いは『恋のから騒ぎ』
「おもろいほうをとる」
これは、私が28年間も仕事で御世話になっている明石家さんまさんのポリシーの一つです。「とる」とは「選択する」という意味。日常や、人生の岐路で、どちらに進もうかと迷ったとき、展開が笑えて面白くなりそうなほうへ歩き出すということだと私は理解しています。
“28年前”というのは、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)がスタートしたとき。さんまさんには“座付き作家”ともいうべきベテランの男性放送作家さんたちがいました。私はその中に入れてもらい、「小姑」という肩書でスタッフロールに名前が出ていましたが「構成作家」の一人でした。
なぜ「小姑」になったかというと、ディレクターから「他の男性作家さんたちは名前を出さずに、(当初の『さんまのSUPERからくりTV』〈TBS系〉のように)“さんま漁業協同組合”みたいにするようだけど、山田さんはどうする? 女性一人だから、+小姑みたいでいいかな?」と打診をされたのです。
ところが初回の放送を見てみたら、他の男性作家さんは名前で出ており、私だけ肩書を「小姑」にされて名前が出ていて驚きました。これ、小さなテレビだと「小結」に見える人がいたり、新聞のラテ欄に「あの〈小姑〉という人は、どんな仕事をしているのか」という質問が届いたりしたそうです。
その後、『恋のから騒ぎ』のスペシャルでやっていた男性版や芸能人版が、現在も続いている『踊る!さんま御殿‼』(同)へと進化したため、さんまさんとの仕事をしている年数は計28年間となります。