私は、見る人が見ると、「芸人以上に芸人っぽい人生」らしいのですが(苦笑)、自分では決して、そのようには思っていません。特に幼少期は、おとなしくてネガティブな性格でしたから、人に笑われない、堅実な道を選んで、慎重に歩んできたという記憶しかありません。

そんな私が変わったきっかけは、29歳の終わりの離婚。実家から「恥ずかしいから戻ってくるな」と言われたのです。放送作家とライターの二足のわらじで歩み始めた30歳が間違いなく“転機”だったと言えましょう。その頃は「おもろいほうをとる」なんていう発想はもちろんありませんでした。離婚の悲しさや、初めての一人暮らしの侘しさをできるだけ感じないようにと、がむしゃらに働いていた頃です。

その頃、毎日のように一緒に過ごしていた女性がいました。彼女は「吉本興業」が「制作」で採用した女性社員第1号で、当時、私が放送作家見習いで師匠と共に就いていた番組のプロデューサーをしていました。

さんまさんがクリスマスにくださった手作りのブレスレット。丸い部分にさんまさんのマークがついている(写真提供◎山田さん 以下同)

年齢は私より5~6歳は下だったと記憶しています。バラエティ番組の現場は、いまよりももっと女性が少なかった時代。「女性の意見を聞きたいので」と師匠を通り越して私に連絡をしてきてくれた彼女に付いて、私は芸人さんが出演する番組や劇場に毎日のように通っていました。

彼女は“女性第1号”ということもあり、どこの現場でも芸人さんから声をかけられ、特に、「今いくよ・今くるよ」さんや、「ハイヒール」さんら、女性コンビは彼女のことをものすごく可愛がっていたし頼りにしていました。