「文字を学ぶだけでも未来が開ける」(MISIAさん)(撮影:木村直軌)
1998年のデビュー以来、その豊かな歌声で多くの人を魅了し続けている歌手のMISIAさん。2021年の東京オリンピック開会式で「君が代」を独唱し、『紅白歌合戦』でトリを務めるなど、日本を代表する歌手として活躍中です。『婦人公論』2022年4月号にてMISIAさんの母であり、小児科医として働く伊藤瑞子さんに、働き方や子育てについて語っていただきました。それに合わせて今回は『婦人公論』2019年9月10日号より、MISIAさんの活動に対する想いを伺った記事を配信します。音楽活動に加えて、2007年にケニアの首都ナイロビに訪れて以来、アフリカと関わり続けており、その活動は多岐にわたります。MISIAさんの根底にある平和への想いや社会貢献は、両親が医師であることも関係しているそうです。※今回の記事は『婦人公論』2019年9月10日号掲載当時の表記を活かしてます(構成=中村竜太郎 撮影=木村直軌)

<前編よりつづく

出会いは「ウィ・アー・ザ・ワールド」

中村 今年8月(『婦人公論』2019年9月10日号掲載当時)に横浜で第7回アフリカ開発会議(TICAD7)が開催されますが、現在その名誉大使を務めておられます。そもそもなぜアフリカに興味を持たれたのですか。

MISIA ソウルミュージックのルーツはアフリカなので、歴史を調べていくとどんどん興味が湧いてきて、やがて私の音楽とアフリカは切っても切れないくらいかかわりが深くなりました。

そもそも、子どもの頃からマイケル・ジャクソンやスティーヴィー・ワンダーが参加したUSAフォー・アフリカの「ウィ・アー・ザ・ワールド」、U2のボノさんたちのバンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を聞いていて、アフリカの飢餓や貧困問題をそこから知ったんです。自分と同じぐらいの年齢の子が、全然違う場所でこんな生活をしているんだ、と衝撃を受けました。

中村 長崎県の対馬に暮らしていらした頃ですね。

MISIA はい。その後、歌手として歌っていくなかで、「幸せってなんだろう」と考えた時に、そうした飢餓や貧困の問題に何度もぶち当たったんですね。歌ってやっぱり人の幸せを願うことなので。ある時、U2のボノさんがチャリティーで東京にいらした際、「今後、私は何をしたらよいと思うか」と質問したら、「アフリカに一度行ったほうがいい。僕は何度も行ってる。行ったらわかる」って言われて。それで行ってみようと思ったのが最初のきっかけですね。

中村 2007年に初めてアフリカを訪問されたそうですけど、最初に行った場所はどこだったんですか。

MISIA ケニアの首都ナイロビ。そこにあるアフリカ最大級のキベラ・スラムです。原宿から新宿ぐらいまでのエリアに200万人が住んでいますが、治安が悪くてスラムの入口までしか行けない。だから危ないって言われていたのですが、現地に住む早川千晶さんという女性の案内で、彼女が運営する学校に連れて行ってもらったんです。訪れた時は雨が降った後で、スラムは道が舗装されてないので足場が悪かった。ぬかるんでいて、雨が降ると洪水。子どもは歩けないぐらいになる。

中村 すごい場所ですね。