「僕は88年生きてきて、いつもその前に死というものがあって、しかし死があるからこそ生きてることが素晴らしかったり、美しかったり、また苦しかったりする。」(撮影:岡本隆史)
演劇の世界で時代を切り拓き、第一線を走り続ける俳優たち。その人生に訪れた「3つの転機」とは――。半世紀にわたり彼らの仕事を見つめ、綴ってきた、エッセイストの関容子が訊く。第3回は俳優で演出家の笈田ヨシさんです(撮影:岡本隆史)

死は否定的なものではない

フランス・パリ在住の俳優で演出家の笈田ヨシさんは、自身の著書『俳優漂流』の題名通り、吟遊詩人か隠者のような風貌で、時折ふらりと日本にやって来て舞台に立つ。

2021年の暮れも静岡と横浜で、モダン能と銘打った『綾の鼓』を上演した。これは能の『綾鼓』と三島由紀夫の『近代能楽集』所収の「綾の鼓」に想を得たオリジナル台本によるもの。従来の筋書は自分に焦がれる老人に女が綾絹を張った鼓を渡し、鳴れば思いを叶えると言う。鳴らない鼓に絶望した老人は命を絶ち、その亡霊が女に怨みを述べる……。

しかし今度の『Le Tambour de soie 綾の鼓』は、ダンスの稽古に励む女(伊藤郁女)に見惚れる清掃係の老人(笈田)の、すべて妄想と思えなくもない構成で、老いて、苦しくても、生きていこうという幕切れにほっとさせられた。

 

──あぁ、観てくれた人たちが、元気が出た、あたたかな気持ちになった、と言ってくれたのがとても嬉しかったですよ。

僕は88年生きてきて、いつもその前に死というものがあって、しかし死があるからこそ生きてることが素晴らしかったり、美しかったり、また苦しかったりする。だから死というものは否定的なものじゃなくて、本当に有難いものだと思えてきました。

今もパリでずっと一人で住んでますから、もしも不治の病に侵された場合に、自然死を待たないで永遠の眠りにつかせてくれる、スイスの会員制の組織に入ってます。

つまり苦しみながら生きなければならないという心配がなくなって、精神的にとても楽になりました。まぁ、頭と足だけは死ぬまでしっかりしていたい、と思ってますけどね。