なぜ溜め込んだのか
実家は借家だったため、引き払いは急ぐ必要があった。整理する気力もなく、一気に処分したい。だが、市では一度にこのゴミの山を引き受けてはくれないので、回収業者に依頼する。
業者はドライに、あの大量のはさみや包丁をすべて持っていってくれた。トラック3台分、費用はなんと25万円だ。
不用品の山を処分しながら、ふと、父はなぜこんなにもモノを溜め込んだのかと考えた。もともと捨てられない人ではあったが、一緒に暮らしていたときはここまで酷くはなかった。捨てられているものをわざわざ持ち帰ることはなかったのに。
その答えは、淡々と作業をしていた業者の一言で判明した。「これも処分していいですか?」。見るとそれは、赤いランドセルだった。父が毎日寝ていた布団に包まれていたという。
私が小学校に入学するときに父に買ってもらったもので、6年間愛用したランドセル。とても気に入っていて、ついていた鈴もそのままにしてあった。鈴の音で、父は私の帰宅を知ったのだ。雨に濡れたら、その日のうちに父がニスを塗って手入れしてくれた。中学生になって処分したはずだったのに。まさか父が取っておいたとは!
父は孤独な人だったのだ。気難しくて横柄な性格だったから、親しい人がなかなかできず、定年後は本当に、毎日一人だった。きっと、寂しかったのだろう。だからあんなに不用品を溜め込んでいたのだ。
その山に囲まれて、思い出にすがって、父は生きていたのかもしれない。私のランドセルを抱いて、子どもの頃の私と一緒に暮らした日々を思い出しながら、夜を過ごしていたのだろう。
親の遺品を整理するのは、子の務めだ。不用品を処分するのは当然のことだが、たとえ不要でも、処分してはいけないものがあると知った。もう決して使わないけれど、赤いランドセルはいま、私の手元にある。