鎌倉にある古い日本家屋で、甘糟幸子さんは娘のりり子さんと暮らしている

でも、娘と暮らす人は喧嘩した話ばかりする。息子のところにいる人はお行儀よく暮らしているのに、娘のところにいる人は遠慮がない分、喧嘩になるとか。
いわれてみれば、私もよく喧嘩をする。

「そのぐらい自分でやってよ。こっちは忙しいんだから」

「そのいい方なによ」と大人げなく私がいい返す。

喧嘩の度、タクシーを呼んでさっと家出したくなる。「もう世話になんかならん」といってみたい。泊めてくれそうな友人の家を予約しようと思うが、軒並み断られる。
あなたは持病持ちで何が起こるかわからないから。

 

下の台所からコトコトと包丁の音がして

たしかに、癌はうまくやり過ごしたが、歳と共に心臓が弱くなった。特に夜明けに胸が苦しくなる。狭心症の一種だそうで、不思議なことに午後になると何もなかったように落ち着くのだ。この病気の癖がわかってから、午前中はベッドで安静にしていることにした。

ベッドに横になってただただ裏山を眺めている。何十年も見続けたこの小さな山のことは、どんな木がどこにあるか、花がいつ咲くか、木の下にはどんな動物がいるか、動物がどんな声で鳴くか、全部知っているが、私の庭ではない。

持主が山の木を切り払い、小さなマンションでも建てますといえば、私はひと言の反対もできない。そうなれば大して迷わず、この家を未練なくたたんでマンションへでもホームへでも行ってしまうことだろう。