ああ、これが現実なんだな、と気持ちが弱くなっていくのを感じました。80歳でやろうと思い描いていた夢まで遠くに逃げていくような気がして、自信も失ってね。まあでも、振り返ると無理もないかなと思う。80歳になる前年、コロナ禍で仕事がストップし、外出もままならなくなった。そして、数年前から闘病していた僕の奥さんのスミちゃんが亡くなった。
スミちゃんは、ずうっと僕を陰で支えてくれたいい奥さんだったの。一方の僕は、仕事仕事で家族をほったらかしにしていて、一番忙しかった時期なんか、2年間くらい家に帰らなかった。結婚生活を通して、一緒に出かけるとか、じっくり話をする時間はほとんどなかった。それなのに、子どもたちに対しては、僕を「尊敬できるお父さん」にしておいてくれたんだよ。
亡くなってようやくわかるんだよね。本当に心地いい人だったなって。どうしてもっと優しくしてあげられなかったんだろう。もっと幸せな気分を味わわせてあげなかったんだろう。
こういうふうに考えてしまうときは、空白の時間をつくっちゃいけないんだろうね。寂しさが募ってしまうもの。ところがコロナで仕事に行かないから、帰りに飯でも食って帰ろうよ、ということもなくなって、空白の時間がドーンとできちゃった。テレビをつければ、こういうご時世だからニュースで後ろ向きの言葉がたくさん流れてきて、さらに気持ちが塞いでいく。
コロナ禍だし、スミちゃんはいないし、体はちっとも言うことをきいてくれないし。僕の80代の最初の年はこんな感じで始まったんです。でも、このまま沈んでちゃいけないと思った。
そうだ、こんなときは言葉に頼ろう。努力する何かを始めよう。それで紙に大きく「××を探そう」と書きました。言葉の力は大きいから、この状況でもできることを探す方向に心が動くんですよ。
探した結果、見つけたのは3つ。1つめは競馬。若い頃はずいぶん無謀に万単位で馬券を買っていたんだけど、100円単位で勝負する土日をつくったら楽しいかもと考えた。で、やってみたら、レースの様子を見ているだけでも時間が埋まっちゃう。我ながらいいことを思いついたと思うよ。2つめはネット将棋。これも競馬と同じで、1日のスケジュールに細かく組み込んでおくといい感じ。
そして3つめは、誰かに会うこと。年をとって何に幸せを感じるかというと、明日会う人がいるかどうかに尽きると思うんですよ。でも、会える人が思い浮かばない日も多いよね。そんなときは買い物に出て、お店の人に「おじさん、これ、どこ産?」と話しかける。それだけで会話が生まれるでしょう。気分が変わって、僕は楽しくなったな。