80歳になって手放したものは

暗くなりかけていた気分が持ち直したら、仕事でも新しいことを始めたくなっている自分がいました。でもね、80代はこれまでとは違う。若い頃のようにいくつも並行してできません。何かを手放して、挑戦する対象を絞り込むこと。これが力強く邁進するために、最初にやらなくてはいけないことなんだ。

【写真】70年代ファッションの30代前半の萩本さん。1976年スタートの『欽どこ』は最高視聴率42%を記録した。1976年撮影(写真:本社写真部)

具体的に言うと、『全日本仮装大賞』と『ラジオ深夜便』、愛着を持って長いこと続けてきたテレビとラジオの番組を手放すことにした。やめたくないけど、自分の体のことを考えると、どうしてもやめなくちゃいけなかったんです。

でも「やめる」という言葉を使うのは、タレントとして魅力がないなあと思いました。辞任? 違うな。退任? コレも違う。じゃあ「譲る」はどうか。「仮装大賞の司会を(香取)慎吾ちゃんに譲ります」。うーん。なんだか卑怯な感じがするし、カッコよすぎてインチキっぽいな。それで、あれこれ考えてたどりついたのが「どく」です。

電車で座っているときに、目の前に立った妊婦さんに声をかけて席を「譲る」。一方「どく」は、次の駅で降りそうな顔をして黙って席を立つ。そこに妊婦さんが座るかはわからないけど、こっちのほうがずっと粋だし、僕の心境は「どく」だと思った。こうして自分の行動を示す言葉に背中を押され、大好きな2つの番組からどくことができたというわけ。

そして80歳で新たに始めたのが、ユーチューブチャンネル「欽ちゃん80歳の挑戦!」です。自由の利く新しい媒体だから、試行錯誤しながら楽しくやっているよ。今は、視聴者と一緒に理想のお墓を考える「欽ちゃん最後の夢物語」と、かつて一緒に番組をつくってきた人を招いてトークをする生配信を週2日。小堺一機や関根勤とコラボして動画を撮ることもあります。

昔はテレビ番組の視聴率で戦ってきたけれど、今はたくさんの人に見てもらおうとはしていません。身近な人に楽しんでもらえる、ファンクラブの集いみたいなものにしたいですね。