『猫コンプレックス母コンプレックス』(著:末井昭・春日武彦/イースト・プレス)

2人の母と、それぞれの事件

末井 もう一方のテーマの「母」についてですが、ぼくの母親はぼくが小学1年生のとき、30歳で22歳の青年とダイナマイト心中をしています。これはいろいろなところで書いたり話したりしているのでご存じの方も多いと思いますが。

春日 映画化もされましたね。

末井 はい。初めて書いた『素敵なダイナマイトスキャンダル』(ちくま文庫)は冨永昌敬監督の同名映画になっています。

そうした中で母親の死についてはさんざん考えてきたと思っていたんですが、春日さんとの往復書簡によって新たに引っ張り出されたことがありました。これまでぼくは母親を直接恨むことはできず、憎悪を母親の心中相手である隣家の22歳の青年に向けていたんですね。

でも本の中で春日さんにしていただいた問い掛けによって、結果的に母の相手への憎悪のような思いは消えました。それはこれまで自分で自分にかけてきた呪縛を解くことであったとも思います。往復書簡を始める前には思いもしなかった大きな収穫でした。読者の方にもそのあたりのところを読み取っていただければ。

春日 今回は末井さんとの往復書簡というかたちをとることで、自分ひとりで記憶や思いを吐露しているのとは違う性質のものを著せたのではないかとぼくも思っています。

末井 春日さんはこれまで美しいお母さんのことに著書で繰り返し触れられていましたが、最後の書簡で「中学生だったときのグロテスクな出来事」として書かれていたことには驚きました。

春日 もともと母は不眠症でブロバリンという睡眠薬を服用していたんですけど、ぼくが中学生くらいのころから夜になると、最悪なことにそれをウイスキーと一緒に飲むようになったんです。服用量も増えていたようで、意識が朦朧とした状態で呂律の回らない口調でぼくにわけの分からぬ因縁をつけたりする。

昼間はしっかりしていて家事もきちんとこなし、家の中が散らかっているといったことはないのに、夜になるとまたブロバリンとウイスキーです。父は忙しくて夜中にならないと帰らないので、中学生の一人息子は母に似た化けものと一緒にいる気分で嫌で仕方がないんだけれども、拒絶するのも気が退けるという状況で。

末井 でもそれには「相応の理由」があったと。

春日 当時は知らされていなかったんですが、ぼくが中学生のころ、母はガスの検針だか器具の点検で日中自宅を訪れた青年に襲われたんです。その後ストーカー状態となった彼の行動がどこまでエスカレートして母がどの程度被害を受けたのか。

調べることが可能でもそんな気にはなれませんが、母の証言で逮捕・起訴された青年は刑事裁判の被告人となり、最終的には懲役3年の判決が下された。その事実だけ見てもかなり悪辣な犯行だったことはわかります。

父もそれなりのサポートはしたでしょうけれど、彼はとにかく多忙でしたから、検察官主導とはいえ母は基本的には一人で裁判を闘い抜き、被告に償いを要求した。昭和40年前後という時代を考えると一介の主婦であった母にとっては非常にハードな日々だったはずです。セカンドレイプ的な体験も強いられたでしょう。

そんな不快な応酬をしていたら心がずたずたになってブロバリンとウイスキーで化けものになっても仕方がない。でも、そう思うようになったのはやはり「グロテスクな出来事」について知ってからのことですが。