2022年3月、ゲストに辛酸なめ子さんを迎え、出版記念イベント「猫コンプレックス母コンプレックス・ナイト」が渋谷LOFT9にて行われた(撮影:LOFT PROJECT)

「事実」と「真実」は違う

末井 本の中ではお互いに質問を出し合うという試みをして、ぼくは「自分の記憶が実際どうだったか、過去に戻ってその記憶のひとつを確認できるとしたら、それをしてみたいと思いますか?」とお聞きしました。それに対して春日さんは「過去の確認作業にはあまり関心が向かない」と。

春日 そうですね。ぼくは絶対的な記憶なんてものは存在しないと思っていますし、「あれはいったいどういうことだったんだろう」という記憶の断片はそのまま、得体の知れないところに価値があると考えています。だから過去に遡って記憶の検証をしようとは基本的に思わない。

末井「事実」「真実」ということでいうと、母親の死についてぼくがこれまで書いてきたことは、事実ではないんです。自分では現場を見ていませんし、一部の方から話を聞いたりはしましたが、いちばんの目撃者であるはずの父親は結局何も聞けないまま死にました。実際の現場はやはり凄惨だったんでしょうけど……。でも、母親にまつわることをグロテスクに書くのは、自分にはできないだろうとも思うんですね。

春日 記憶の話を書いているわけだから、脚色をしたり、どうしても捻じ曲がりますよね。

末井 それもそうなんですが、自分にとって事実はそんなに大切なことじゃない、事実と真実とはちょっと違うんじゃないかと思っているところがある気がします。ただ、母親のことを美しく思いたいという自分の気持ちは真実だと思うんです。

でも事実について知って、それを自分が思いたいように美しく描いたら、それは事実じゃないこと、嘘になっちゃう。だからまあ、事実はどうでもいいかな、という感じはありますね。