僕の人生の3分の2は違う人の人生

今思えば、僕が芝居を始めた時代は、コンプライアンスなどが改正される前のことなので、作品を作るにしてもより人間臭い作り方でしたね。撮影のあと、スタッフと一緒に健康ランドに行って、みんなで風呂に入ったり、ご飯を食べたり。当時の感覚で言えば、監督がお父さんで、プロデューサーがお母さん。物を作る、映画を作るというのは、本当に家族のような結び付きのなかで行われていました。

とはいえ、ビジネスと夢が混沌としている世界ではあるのですが、何があっても、夢を先に選ばなきゃいけない世界だと思うんです。やらされているのではなく、やりたくてやっている。映画というものの根源を大切にしなきゃいけない、職人のようになりたいと。だから、映画に出演している子どもたちにとっても、大人がやらせているビジネスではなく、子どもたちが目標を決めて、目には見えない何かをたくさん養ってもらう場所であってほしいと思いました。

僕の人生の3分の2は、違う人の人生を生きているような感覚なんです。良くも悪くも芝居に支えられている面があって。若い頃は、役に入ると感情のコントロールができなくて、撮影前に吐いたり、寝られなかったり、なぜか涙が止まらなかったり。でも、それほど感情が動かされている嬉しさもあって、そのぐらい高い山に向かっているという実感はありました。

何度も芝居や現場を嫌いになっていますし、何度も芝居や現場を好きになっています。嫌いなんだけど好き、好きなんだけど嫌い……って。役者はどんな現場でも、初体験です。何かチームがあるわけでもなく、単体で挑む。常に「はじめまして」の状態で、役も、環境も、そこで何かを培っていかなきゃいけないから、自分との勝負です。