写真提供◎山田さん 
放送作家・コラムニストとして、数多くの著名人にインタビューし、コメンテーターとして活躍している山田美保子さん。小さいころは引っ込み思案で話すことも苦手だったそう。そんな山田さんを変えたのは何だったのか。さまざまな出会いや、出会った人のアドバイスを通じて、今の自分があるという山田さんが、自分が楽になるコミュニケーション術を紹介する新連載。第12回は「大ファンの稲垣吾郎さんのこと」です。

稲垣吾郎さんとの出会いのきっかけ

「渋谷区のマダムと言われているんで……」

ここ数年、稲垣吾郎さんが度々口にする言葉です。渋谷のマダム=美意識が高く、オシャレやトレンドに精通し、エンタテインメントにも詳しく、美味しいものやお酒にも詳しい…という意味だと理解しています。

私が長きにわたり吾郎さんファンであることはファンの皆さんもよく御存じだと思います。でも最初のきっかけは仕事だったのです。1996年4月から日本テレビで放送されていた『WIN』という女性向け情報番組のレギュラー陣の一人と、チーフ放送作家という間柄でした。

それまで私は大半の番組を放送作家の師匠と共に担当していました。が、『WIN』で独り立ち。しかも数名いる放送作家の「チーフ」となり、最初の段階のキャスティングから企画まで、ディレクターやプロデューサーと立案したのです。

吾郎さんがキャスティングされたのは局からの要請でしたが、当時から、美意識が高く、多くの趣味をもっていることで知られた吾郎さんは、女性向けの情報番組にハマると確信しました。

その一方で忘れられないのは、番組キャラクターの「なんですとWINちゃん」(注・予算が少ない深夜番組ゆえ、市販のアヒルのぬいぐるみをリポーターに見立てて、海外取材などに連れていく…という当時の総合演出、村上和彦氏のアイディアでした)を吾郎さんは、あまり好きではなかったこと。

その後、視聴者の皆さんの間ではアイドル的な人気となり、その後、オリジナルのぬいぐるみが売り出され、大ヒットもした「~WINちゃん」でしたが、吾郎さんのテンションが上がることは最後までなくて……。吾郎さんの美意識には反していたのだと思います。その気持ちを曲げなかったからこそ、今の「稲垣吾郎」があるのだと、いまなら思えます。 

そんな私の想いを吾郎さんはずっと裏切らないどころか、さらに進化させていくのです。