17歳のときに単身、イタリアへ渡ったマリさん。片道切符で向かったローマでは、山下達郎さんの『Big Wave』を繰り返し聴いて漠然とした不安を払拭していたそう。それから38年、その山下さんの新譜『SOFTLY』のジャケットに自らが描いた肖像画が使われることとなり、胸に去来したものとは――。(文・写真=ヤマザキマリ)

胸中の靄を払拭してくれた『Big Wave』

人はなぜ絵を描くのか、という思惟を前回こちらで綴ったばかりだが、もし私の母が苦悩必至の人生選択を娘に勧めるようなことがなかったら、私は何か別の仕事を選んでいただろう。

17歳の娘に悩む間も与えず、さっさとイタリアへ放り出した母は、戦時中の恐怖と戦後のひもじさを、音楽と映画と読書に縋りながら乗り越えた人間である。

食べていける保証のない未来への漠然とした不安など、彼女にとっては取るに足らないことであり、「行けばなんとかなるから」と、不安に縮こまる私の背中を力強く押した。

1984年、イタリアへの出発前日、それまでアルバイトをしていた都内の喫茶店に給料を取りに行くと、隣のレコード店の店頭に、波に乗るサーファーの写真をジャケットにしたレコードがびっしり並べられていた。

山下達郎さんの新譜『Big Wave』の発売初日だった。

達郎さんの音源はそれまで貸しレコード店に依存していたが、その時は手に入れたばかりのバイト代でカセットを調達し、同じくバイト代で買った新品のウォークマンにセットして、翌日に私はローマへと向かった。

旅行であれば、帰国という前提が心の支えとなる。しかし片道切符でローマへやってきた私は、絵画という腹の足しにもならない勉強を志している自分に、頼りなさと不安をつのらせるばかりだった。

私は繰り返しウォークマンの中のカセットを聴き続けた。達郎さんの光とエネルギー溢れる前向きな音楽には、そんな私の胸中の靄をことごとく払拭してくれる絶大な効果があった。