13人が一堂に会して合議が行われた例はない?

従来、この合議制は頼家の権力を制限し、御家人の意思を幕政に反映させる制度と考えられてきた。

『歴史と人物7  面白すぎる!鎌倉・室町』(中央公論新社)

実際、頼家の訴訟裁決は頼朝時代の判例や裁決を覆すものも多く、御家人たちを憂慮させたのは事実のようだ。

たとえば、陸奥(むつ)の寺社領の境界を争う訴訟では、僧侶が提出した絵図面の真ん中に線を引き、「土地の広さは運次第だ」といって突き返したという。

また、内乱以後、新たに御家人に与えられた所領のうち500町を超える者は超過分を没収し、自身の側近に与えるよう命じて宿老たちを慌てさせたこともある。

しかし、これらは合議制が定められた後の事例であり、代替わりからわずか3カ月で、鎌倉殿としての頼家の器量を見切るのは時期尚早といえる。

そのため近年、合議制の導入は頼朝の死に乗じて有力御家人が台頭したという単純な構図では語れないことが明らかにされつつある。

そもそも、13人が一堂に会して合議が行われた例はなく、数名が評議した結果を頼家に示して、最終決裁を仰ぐシステムであったという。あくまで最終決定権は頼家にあり、若い頼家の権力を補完する体制であったと前向きに評価する意見もある。