やらなければやられる

その後、畠山重忠、和田義盛が相次いで滅亡しているが、その背後に北条氏がいたのは明らかである。

それぞれの死後、畠山重忠の本拠だった武蔵は北条氏の支配下に入り、和田義盛が担っていた侍所別当の座に北条義時が就いているのだ。

北条義時館跡。静岡県伊豆の国市(写真提供:PhotoAC)

北条氏は元々伊豆の小豪族であり、有力御家人に対して「やらなければやられる」という危機感が強かったのだろう。

時政・義時父子は、血みどろの内部抗争に打ち勝つことで、その権力を確立していったのである。

※本稿は、『歴史と人物7 面白すぎる!鎌倉・室町』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。


『歴史と人物7 面白すぎる! 鎌倉・室町』(中央公論新社編・刊)

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