やらなければやられる
その後、畠山重忠、和田義盛が相次いで滅亡しているが、その背後に北条氏がいたのは明らかである。
それぞれの死後、畠山重忠の本拠だった武蔵は北条氏の支配下に入り、和田義盛が担っていた侍所別当の座に北条義時が就いているのだ。
北条氏は元々伊豆の小豪族であり、有力御家人に対して「やらなければやられる」という危機感が強かったのだろう。
時政・義時父子は、血みどろの内部抗争に打ち勝つことで、その権力を確立していったのである。
※本稿は、『歴史と人物7 面白すぎる!鎌倉・室町』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
『歴史と人物7 面白すぎる! 鎌倉・室町』(中央公論新社編・刊)
保元、平治の乱から応仁・文明の乱までの15大合戦と、「男と女」「復讐」「武士の生活」などの9つのキーワードで、鎌倉・室町の実像を生き生きと描く。単に合戦の経緯を解説するだけでなく、合戦が起こった時代背景や原因、対立した人物や一族郎党の相関図、合戦の結末がどう政治情勢や時代の動きに影響を与えたのかを、多角的に解説する。また、テーマ解説では、最新の中世研究を抽出し、リアルな中世像を展開する。