共感できてもできなくても、対話をするという面白さ
小学生のころ、よく手紙を書いた。
『アンネの日記』よろしく、もう一人の自分のような架空の相手を思い浮かべ、その時々の気持ちを明かすのは楽しく、ある種の快感があった。いつか実在する誰かと手紙をやり取りしたい、と思ったが結局叶わなかった。
本書は日本に住む写真家・長島有里枝さんとスウェーデン在住のガラス作家・山野アンダーソン陽子さんによる往復書簡。二人はともに1児の母である以外は、年齢も考え方も住む国も違う。どこかのカフェで偶然隣り合った誰かの会話に聞き入ってしまうみたいにページをめくっていた。
たとえば夏休みの過ごし方では、高校生の息子と寄席で落語を聞く長島さんに対し、スウェーデンの山野さんはノルウェーまで車で往復2000キロの旅をする。どちらも羨ましく、決して比べることができない、子どもとの時の過ごし方だ。
二人の書簡は泉がふつふつと湧き出るように、記憶や思いがあふれ出す。子育てや夫との関係、「一人になる時間が欲しい」と思うこと……。スウェーデンでは子どもを預けても誰からも責められないが、日本では理由がある場合でも、後ろめたさが付きまとう。
一方、加齢による変化についても触れる。長年続けているバレエのレッスンを通し、長島さんは言う。「加齢によって動かなくなっていくという側面と、やればやるほど上手になる側面の両方を合わせ持つ身体は面白いし、愛おしくも思えます」
常識や価値観も身体も考え方も、常に変化し、年月を重ねていつでも変わることができるのだ。人生はどれだけ可能性があっても選べる道は少なく、実際に歩ける道はさらに限られる。二人の生き方、時の過ごし方は違うものだが、自分の前になかった道を代わりに歩む、かけがえのない同志がここにいてくれる。