短歌の魔法にかかれば、まるで〈額縁に入った絵〉に
美しい付箋を買った美しい付箋まっすぐ貼れない私
歌集、一冊でも家にあるでしょうか。短歌だけがおさまった本を買う、これは本当にすごいことなんです。31文字が1ページに二つ。大事に大事に一首ずつ読んでいく時間。
たしかに短歌や俳句はツイッターとも相性がいい。140字の制限のなかでも31文字か17文字しか使わずに、スマホのなかで文学を感じさせてくれる。
けれどページをめくって短歌の情景や心情を味わい、ジンワリと想像の海にひたっていく心地よさは格別だ。なんならページをめくらなくてもいい。一日一短歌でも。
美しい付箋を買ったのだけど、私はその美しい付箋をきれいに貼れない。散文ならきっとこうなる。しかしこの内容を短歌という型に入れると、まるで額縁に入った絵になる。
「美しい付箋」という言葉をリフレインする見た目と音の楽しさ。「五七五」のリズムで読むと「美しい付箋を買った美しい」で切れる。
その後の「付箋まっすぐ貼れない」は、「を」を削除しただけなのだけれど、「付箋まっすぐ貼れない私」と「付箋をきれいに貼れない私」では後者が説明的になってしまう。「きれいに」を「まっすぐ」にして「を」を削る。「私」を最後にもってきて俯瞰する。
美しい付箋に心がときめいて、せっかくならまっすぐ貼りたいのに焦ったかガサツなのか、はたまた不器用なのかまっすぐには貼れない。この、だれにでも経験があるかもしれない、ちょっとした残念な気持ちをユーモアで包み込む。
この人の歌には切なさとユーモアがある。だれもが経験しているかもしれないのに見過ごしてしまう心の動きをすくいとる才能がある。感嘆とともに次の歌を味わう。読めばわかる。歌集を買う自分を想像すると、ちょっと楽しくなってきませんか。