手塚先生の世界観は「歌舞伎的」
手塚先生は、丘十郎がアメリカという新しい世界に向かう場面で終わらせています。「本当は五稜郭の戦いまで描きたかった」とインタビューで語っておられたのを読みましたが、あえてあそこで終わらせたことに意味があると思います。読む人に想像力を働かせてもらいたい、と。
僕も、見にきてくれた人が自分自身にひきつけて考えてくれるように演じたいです。20歳の僕が丘十郎を演じる意味はそこにあると信じています。
手塚先生の漫画には小さいころから触れてきましたし、仏教の開祖を描いた『ブッダ』は、青山学院初等部の授業でアニメで見たのを覚えています。手塚先生の世界観はすごいと、衝撃を受けました。『ブッダ』に限らず手塚先生は視覚的に物事をとらえておられ、「歌舞伎的」なのです。
『どろろ』は、身体のパーツを欠いた少年が、盗人の息子ともにパーツを取り戻そうとする話で、まさに歌舞伎。僕が大好きな(松本)幸四郎のお兄さんもこの前、「『新選組』は初めてという感じがしないよね。僕は若いころ『どろろ』を歌舞伎にできないかと考えていたんだよ」とおっしゃっていました。手塚作品は歌舞伎だとみておられるお客様も多いでしょう。そういう方に、『新選組』が「あっ、歌舞伎だ!」と思ってもらえたら嬉しいです。
舞台に立つ人間は、いろいろな思いを抱いて観ににきてくださるお客様に最低限、芝居の間は何もかも忘れて楽しんでいただかなければならないと肝に銘じています。『新選組』は、夏休みにいろいろな決断をしなければならない若い人たちも見にきてほしいと思います。そのような若い人たちに、同年代の役者がこれだけ情熱を持って頑張っているのだから、自分も頑張ろうと思ってもらえれば本望です。