安部譲二さんがヨーロッパで購入し、山本夏彦さんを経由して島村さんの母が使い、そして今は、島村さんが使っているという杖(写真提供:島村さん)

カーテン越しのしくしく泣く声

その日の昼だったか翌日の昼だったか定かではないがちょっとした地震があり、ああ私はひとりで逃げられないのだという絶望感に襲われた。そしてしょっちゅうナースコールを押して車椅子でトイレに行かねばならないのも辛かった。相手は仕事でこっちは病人だと言えばそうなのだが「他人に迷惑をかけてはいけません」などの刷り込み教育のせいか、申し訳なさや情けなさがすごくて病気そのものよりもそのストレスに耐えられず、声を出さずにうーうー呻いていた。

するとカーテン越しにしくしく泣き続ける声がする。

時々、看護師がやって来て泣き声の主を励ましたり慰めたりしているのだが、どうやら脳腫瘍が見つかった外国出身の人らしく、子供も小さいのにこれからどうしたら良いんだ、と辿々しい日本語で泣いているのだ。

「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに違う」というトルストイの言葉を私は思い出した。

泣いている人は今、カーテンを開けたら手が届くほどの近くにいるが、みんなそれぞれに事情がある。病気や事故などで入院している人はどんな形であれ、理不尽な思いを抱えているに違いない。

なんで突然自分だけがこんなことに、という思いがそれぞれにあり、人にどんなに慰められ親切にされても、どこかにあんたは私じゃないもんねえ、という気持ちがある。

しかし私が一晩中眠れなかったのは不安だったからではなく、同部屋にとんでもないいびきの人がいたことと、明け方に奇声をあげるお婆さんとそれを「大丈夫よー」とこれまた奇声でなだめるお婆さんがいたからである。

私は腹を括った。金はないけど個室に行こう、ここにいたら脳梗塞とは別の症状が出てしまう(未だにこの時の差額ベッド代をリボ払いしている)。

とはいえ、個室に入っても寝返りは打てず天井を眺めている姿勢のままだったし、ひっきりなしに救急車のサイレンが聞こえてくるし、不安な状況に変わりはなかった。