私はどちらの人になるのか
少し前に『漫画方丈記 日本最古の災害文学』というのを読み、一丈四方の家にシンプルに暮らした鴨長明は何度も地震や火事に遭った人で栄華なども虚しくなったのが58歳、そろそろ自分も近い年齢になったなと思っていたらなんのなんの。起きられないんだから、方丈どころではなくベッドの上だけで生きねばならない。
ピラミッドを見ず、エッフェル塔も知らずに死んで行くのかと思ったが別にピラミッドとかはどうでも良いなあとも気づいた。インスタグラムにそんな風景をあげて、いいね、と言われなくても良いから風呂に入って髪を洗いたい。
動く右手でリモコンを持ってテレビをつけたら、どこかの電車の中でハロウィンの衣裳の男が乗客を襲ったというニュースで持ちきりだった。
身体が元気で動けているのに不満があるらしい。しかもジョーカーの格好のうえ、何ヵ月か前に違う私鉄で起きた事件を参考にしたと言っていてどちらにせよオリジナリティーのかけらもない。情けない。
明け方の叫び声は認知症の人で、そしてそれを慰めている人も認知症だというのだが、人間はどんな時でも他人に優しい人がいるし、どんなに元気でもろくなことをしない人がいる。私はどちらを選択するのだろう。
今さらここで働いている人々のように具体的に人の役に立つこともできないだろうし、再び歩けるかどうかもわからないこの状況下では、自分のことも満足にできるかどうか怪しい。
時間ごとに、看護師が私の目にライトを当てに来るところを見ると瞳孔が開いているかどうかの確認なので、思ったよりやばいのではないか。