左側を忘れ、左肩をぶつけてしまう

私は原稿が書けなくなることを恐れ、いろいろな言葉を思い出そうとした。例えば病院のこの壁の色は何か。「クリーム色」では陳腐である。「誰にも言えない不倫旅行の時に歩いた海岸にあった営業しているのかいないのかわからない中華そばと親子丼とかき氷しかない店の忘れられた生ビールのポスターが貼られてあった壁の色」とか「50年も前に突然いなくなった父と行った動物園で見た赤ちゃん象の皮膚のような色」とか。

食事の前に小さなゼリーを出された。「ちゃんと飲み込めるかどうかチェックしますから」と言われて、手足だけでなくそんなところもだめになっているのかとまた悲しくなった。

ゼリーは飲めたがごはんを食べ終えて驚いた。舌をまわしてみると口の中に半分残っていたのである。

あるいは寝返りを無理に打つ時も半身起きる時も私は左側を忘れるらしい。左側の肩をなおざりにしていろいろぶつける。元気な時も左半身に格別の意識があったわけではなかったのに、いったいどういうことだろう。

そうしているうちに月曜の朝となり、医者がやって来て「一般的に詰まりやすいところが詰まっているんだけど、2週間以内に再発したら寝たきりになる。歯痒いだろうけど治療法は点滴だけです」とダモクレスの剣を私の頭上に吊るして出て行った。

特別に血圧が高かったわけでもないし、少し不正脈があったけれど、それだって入院するほどのことではなかったのだ。自分の人生にこんなことが起こるなんて思ってもみなかった。最初に「一寸先は闇」と言った人はもしかして脳梗塞だったんじゃないか。

「島村さんは運がいいですね、ちょっと前ならコロナが蔓延してたからお見舞いはシャットアウトなのに、今は来られますからね」と看護師に言われて、ええっこの状態は運がいいんですか? と聞き返したかったが黙っていた。

そうこうしているうちにリハビリの人が3人やって来た。どうやら手のリハビリと言語、そして足のリハビリは担当が違うらしい。

そして私は赤児がいろいろな動きを覚えるように再び動きを習得するのだが、枚数が来てしまったので続きは本誌で。

 


◆後遺症と向き合い、さまざまな不安に襲われたこの10カ月の日々は、本誌(『婦人公論』9月号・8月12日発売)に掲載されます。

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