ほんの1時間ほど前にはバンドの打ち上げで錦糸町の「養老乃瀧」でサンマを食ってたのに。(写真提供:島村さん)
2021年10月、居酒屋から帰宅した島村洋子さんは突然左手足が動かなくなり、緊急搬送された。脳梗塞だった。脳梗塞の発症から入院、リハビリが始まるまでの数日間の心の揺れを、WEB書き下ろし記事として配信します。

誕生日の夜に

その日、2021年10月30日土曜日は暑くもなく寒くもなく晴れたいい夜で、私は居酒屋から帰ってきた。

いつものごとく洗面所でクレンジング剤のポンプを右手で何度か押したら、その液体が左手でキャッチされず宙を舞ったのを見ておかしいなと思っているうちに立っていられなくなり、私は右に傾いて倒れた。左手と左足がまったく動かなくなったのである。

ああ脳梗塞だ、と思い、奥の部屋で寝ている姉を呼んだ。

父が50代で脳梗塞になったので、なんとなく症状は知っていた。とにかく一秒でも早く治療をしないと後遺症が出るというのもわかっていたが、半信半疑だった。

しばらくして救急車が来て区内の総合病院に運ばれたのだが、名前と生年月日を言ったら看護師が「今日、誕生日じゃない」「そんな日に大変」と言ったのを聞いて、やっぱり私の置かれている事態は「大変」なのだ、と理解した。

身長と体重を訊かれて、体重を3キロ軽めに言ってしまったが後悔した。使用する薬の量が変わってくるからである(ふだん年齢と体重はどんなに誤魔化しても良いが、救急の時は正直に!)。

PCR検査の後、医師がやって来て点滴を始め、「MRIに入りますからね」と言われたので「それ私、怖いんですけど」と返事したら「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ」と言われた。「そんなこと言ってる場合じゃない」ほどのことが起こっているのだ。ほんの1時間ほど前にはバンドの打ち上げで錦糸町の「養老乃瀧」でサンマを食ってたのに。

最後の晩餐がそれで、最後の会話が西岡恭蔵と田山雅充の作詞方法だったなんてめっちゃ嫌だ、有楽町のアピシウスかなんかで鴨を食べながらヴィヴァルディの作曲方法について語った後に倒れたかった。いや、どっちが私にふさわしいかと言ったら間違いなく前者なのだけれど。