娘の私も入り込めない、六十余年の夫婦のきずな

しかし、明らかに症状は進んでいきます。私は以前より頻繁に実家へ帰るようにしたけれど、カメラは持っていきませんでした。それは粗相したところを撮られたら、母が傷つくのではないかと恐れたから。

ところがある時、母がふと「あんた最近、ビデオで撮らんね。お母さんがおかしゅうなったけん、撮らんようになったの?」と。母にとっては妙に気を使われたほうが傷つくのだと気づいて、両親の撮影を再開することにしました。

14年にもう一度受けた検査では、アルツハイマー型認知症との診断。93歳になった父に介護をさせるのも忍びないと思った私は、「帰ってきたほうがええかね?」と聞きました。

しかし父は「わしが元気なうちは、おっかあはわしが見るけん。あんたはあんたの仕事をしんさい」と即答。そう言われて、ほっとしたことも事実です。やはり大好きな仕事でしたし、独り者の私は、自分の食い扶持はもちろん、老後のために少しでも長く働かなければいけませんから。

そうして始まった老老介護の日々。家事ができなくなった母を傷つけないよう、父は「信友家は一軒しかないんじゃけん、あんたがきれいにしても、わしがしても一緒よ」と声をかける。

記憶があいまいになる母を、「あんたが忘れとることもわしが覚えとるけん、何でも聞きんさい」と慰める。そこには娘の私も入り込めない、六十余年の夫婦のきずなが見えました。

しかし、「他人の世話にはならん」という父の思いの強さから、診断を受けた後2年近くも、介護サービスを受けられなかったのには参りましたね。信友家にとって、もっとも厳しい時期だったといっても過言ではありません。