曲がった背中でカートを押しつつ、買い物もこなす父。(写真:『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』《全国順次公開中》(c)2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会)

しっかり者の母がどこか「おかしい」

両親を撮り始めたのは20年前、仕事で使うハンディカムのカメラの練習台として。最初は2人ともカメラを向けると、「何撮りよるんね」と緊張していたけれど、そのうち直子=撮る人という認識になって、自然に映ってくれるようになりました。

私が乳がんの宣告を受けたのは2007年。部分切除手術をすることになり、がんへの恐怖が募りました。おっぱいの形はどうなっちゃうんだろう。髪の毛はどれくらい抜けるのだろう。いっそ自分を撮ってみようか。最初は単純な好奇心からでした。

ところが、カメラを回し始めると、不思議とディレクター目線になるんですよね。「引きで撮ったほうが臨場感が出る」なんて考えることが、がんの恐怖から目を逸らせる結果になりました。深刻な事態が起きても、「ネタになる!」ですから。

闘病中には、母も上京して支えてくれました。私をいっぱい笑わせてくれる母の様子が、当時の映像に残っています。

そんな明るくしっかり者の母のことを「おかしい」と感じ始めたのは、2012年の春。電話で話したことを覚えていなかったり、同じ話を繰り返したり。ただ最初の検査では「認知症ではない」という診断。母は「私がボケとると思ったんじゃろ。違うけんね」と誇らしげでした。