友だちは《人生の宝》

おかげさまで、『家族という病』は56万部を超えるベストセラーになりました。それもこれも、自分の恥をすべてさらして、とことん本音で書いたからだと思います。不思議なことに、この本を出版して以来、「私も家族のことでずっと悩んできたので、下重さんの本に助けられました」と、見知らぬ人から次々と話しかけられるようになりました。

そこから、私はガラッと変わったんですよ。それまでずっと隠してきた部分を、全部見せちゃえと開きなおったら、鎧もどんどん要らなくなって、今ではもはや脱ぐものがないくらい(笑)。いやぁ、今はものすごくラクですね。よくこんなに重い鎧をしょって生きてきたなと、脱いでみて、あらためてその重さを実感できました。

面白いことに、鎧を脱いだら、今までは寄って来なかったような人たちが、私の周りにどんどん寄って来る。正直な話、ちょっと嬉しいです。その中で、この人は自分と感性が合う、本音でつきあえると思ったら、年齢、性別、肩書、境遇などはいっさい関係なく、対等の関係で、きちんとおつきあいしています。

年下の友人もいますよ。自分と同世代や60代以上の人が考えていることはおおよそ見当がつきますが、今の30代、40代の人たちは、私が思いもしないようなことを考えていたり、まったく違う発想を持っていたりするので面白い。もの書きという仕事柄、30代、40代の編集者と一緒に仕事をする機会が多いでしょう。そのなかで仲良くなった人たちに、新大久保にある韓国料理のお店に連れて行ってもらったり、私が若い頃とは様変わりした新宿のゴールデン街に行って、一緒にお酒を飲んだり。そんな時間が、今は何より愉しいです。

この年齢になって、ようやく自然体で人とつきあえるようになりました。ちょっと遅かった感もありますが、今が一番ラクで自由です。長い人生の中で、自分の手の中に残る友だちはほんの一握り。だからこそ、《人生の宝》として大事にしなきゃいけないのだと思っています。

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