看護師にもいろいろいて「病気になったことでこれからは気をつけるようになりますから、晩年が健康に過ごせますよ」と言った人と、「血管が詰まる人はわりと再発して戻って来ますからねえ」と言った人がいた。どちらも真実だし悪気はないのだろうと思うが、後者を私は嫌いになった。

それでもイライラすることがほとんどなかったのは、高校生の時に学校で見せられた『典子は、今』という映画を思い出したからだ。

主人公の典子さんはサリドマイド児として生まれ、手を使うことができないため、生活のほとんどを足で行えるよう育てられた。歯ブラシも足で持ち、包丁も足で握って料理をして、書道では見事な文字を足で書いた。

当時の私はそれをすごいなあ、とてもじゃないけど私にはできない、と驚き感動して見ていたが、それはどこまでも他人事で自分とはまったく関係ない世界に対する感想である。

しかし今ならわかる。典子さんは他人を感動させようなんて思っておらず、生きるためにいろいろ習得していった結果、ここまでのことができるようになったのだということを。ならばとにかく四の五の言わずに私も練習して、ひとりでなんとかせねばならない。

私の場合、利き手は動いたが、「もし利き手の側が動かなくなったらどうするんですか?」という私の問いかけに、リハビリスタッフはこともなげに「その際は利き手交換をします」と言った。利き手交換という単語は初めて聞いたが恐ろしいことである。50年以上生きてきた人間は、どのくらい時間をかけたら利き手ではない手で文字を書けるのだろう。

「練習すれば必ずできるようになります」という言葉を聞きながら、利き手が動く私はもしかしたら幸運なのではないかと思い始めた。高校生の時に見た映画に今ごろ励まされるとは、教育というのは直ぐに役に立たないかもしれないが一生を通して考えると大切なことを与えてくれているのだろう。