身体は治っても心が壊れてしまう
なくしたものをカウントせず残ったものに感謝して、失ったものを少しでも取り戻そうと、私は手摺りに捕まって立つことから練習をした。
幸い再び倒れることはなく、ついに点滴も外されて系列のリハビリ病院に転院したが、ここから本格的に自分の置かれた状況を知ることになる。
ある大雨の日、私は車椅子のままワゴン車に乗せられリハビリ病院に行った。悪天候のせいか、病院が古くて狭くて圧迫感があるように感じられ、そこでMRIに入れられた時に恐怖感に襲われた。そんなに深刻ではないが私は閉所恐怖症なのだ。
これは限界だとボタンを押して途中で出してもらった。「あなたみたいな人はいっぱいいます」「CTスキャンや他の方法もありますから気にしないで」と励まされたが、その夜を境に、だんだん私はこのまま一生、表に出られないのではないかと思うようになった。
コロナウイルス感染防止のため見舞いは一切禁止で、病院の建物から出ることも許されていなかった。少ししか開かない窓から口だけ出して空気を吸ったりしたが、このままだと身体は治っても精神的に追い詰められてしまう気がして、なんとかして動けるようになろうと夜中も腿上げ訓練などをした。
「僕はね、事故に遭って寝たきりだったけど今、こうやって患者さんのお世話ができるようになったんですよ」とか「若い子でパラリンピックに出るまでになった子もいます」とか、良い具体例や前向きな話をしてくれるリハビリスタッフや看護師さんたちと好きなジャニーズのメンバーについて語りあったりしているうちに、やがて精神的な圧迫感はなくなってきたが、病気になると理不尽さでいっぱいになるので誰かに話を聞いてもらうのは大切なことだと思う。
スマホで動画を見たり電子書籍も読めたが、病院はWi-Fiがないので結構な額の通信料になってしまった。