1分1秒をがむしゃらに生き、今も現役バリバリ
2人の子どもを保育園へ預けて、私は某社校閲部に嘱託で働きだした。自宅から会社がある銀座まで1時間半。子育てとの両立は大変だったが、私より年下の先輩に、校正のなんたるかを叩きこまれた。独りよがりで学んだ校正の知識を、実際に使えるようにしてくれたのだ。1年でその職場を辞し、フリーランスの校正者として一歩踏み出した。幼い子どもと、働かない男を抱えながら……。
夫は、ひとりで家にいるのは寂しいからと、白い仔犬をもらってきて飼い始めた。やがてそれにも飽きたのだろう、「ぼく、やはり画家にはなれない、仕事を探してきます」と言う。そして、仕事と同時に新しい女も見つけたらしい。別居、そして離婚までそう時間はかからなかった。
私はこうなることを予期して、手に職をつけたのだろうか? そう思いたくはなかったが、結果的に正しい選択だった。再婚して新しい男と子どもたちの間であたふたするのもごめんだ。自分が働きさえすればいい。そう決意したのは、36歳の時だった。
それから校正者として、時間との闘いが始まる。仕事をしながら、子どもを食べさせ、着させ、学ばせる日々。校正の仕事は単純作業に見えるが、神経を張りつめ、あるかないかわからない「間違い」を探し、正しい日本語を指摘していく……その作業に集中するための、静かな場所とたっぷりとした時間を確保することが難しかった。基本的に在宅で仕事をしていたが、学校の授業参観もあれば、運動会もある。そして、子どもが病気になれば病院へ。その合間を縫って仕事に根を詰める。
子どもはいつのまにか、「お手伝いして」と言うと、「私は宿題があって1分1秒が大切なの!」と切り返すようになり、胸がつぶれた。私がいつもいつも仕事優先で、「お母さんは、1分1秒が大切なの!」と、幼い子どもへ言い続けてきたからだろう。
そんな子どもたちも今年独立し、久々のひとり暮らしを満喫している。セブンティの私にあとどのくらいの時間が残されているのだろう。ありがたくも、書籍・雑誌の校正、テレビのテロップのチェックなど、今も仕事は現役。先日は複数の仕事が重なって、35時間働き続けた。老眼鏡もかけることなく、校正の仕事を続けられていることに感謝したい。
がむしゃらに働き続けて35年──ようやく今になって、よく頑張ったなあと思えるようになった。「1分1秒」を懸命に生きてきたのだもの。ちょっとくらい自分を労っても、神様も異存はないのではないだろうか。