味覚だけで感じる「純粋な味」はない

以上からすると、舌ないし味覚のみで感じられ、かつ、他から影響を受けない「純粋な味」などありそうにない。多感覚知覚は私たちの知覚システムが自動的に行っているものであり、それぞれの感覚が得た情報は私たちの意志とは独立に勝手に統合されてしまう。いくら努力しても、味覚だけに集中して食べ物を味わうことは不可能なのである。

確かに、味覚だけが働いている状況というものは理解できる。それぞれの感覚には対応する神経システムがあり、ある感覚が働かなくなっても別の感覚まで働かなくなるわけではないからだ。

視覚に関わる神経システム(眼球、網膜、視神経、脳の視覚野)が何らかの理由で働かなくなったとしても、聴覚システム( 鼓膜、蝸牛(かぎゅう)、聴覚神経、聴覚野など)は働き続け、依然として音は聞こえるだろう。同様に、味覚以外が失われ、他の感覚から独立して味覚が単独で捉えた味が感じられる状況があると理解することができるように思われる。

だが、そこで感じられる味を私たちは本当に想像できているのだろうか。風邪をひいて鼻が詰まっただけで味がよくわからなくなるのに、見た目も咀嚼音も感触も温度もともなわない味がどんなものか本当に思い浮かべられるだろうか(村田[2019]p.15では、そうした純粋な味を想定する「要素主義」が批判されている)。

かりに想像できたとしても、そうした「純粋な味」は、私たちが普段の生活のなかで「味」と呼んでいるものとは大きく異なっているだろう。私たちが普段経験する味、そして、「味とはこういうものだ」という日常的な味概念は、五感で感じられた味をもとに作られている。ポテトチップスの味は、その色や噛んだときの音を含めたものとして理解されているのだ。

※参考文献

ハーツ、レイチェル[2018]『あなたはなぜ「カリカリベーコンのにおい」に魅かれるのか――においと味覚の科学で解決する日常の食事から摂食障害まで』、川添節子訳、原書房。

バーウィッチ、A・S[2021]『においが心を動かす――ヒトは嗅覚の動物である』、大田直子訳、河出書房新社。

久保將(監修)[2014]『ワインテイスティングの基礎知識』、新星出版社。

川崎寛也[2021]『味・香り「こつ」の科学――おいしさを高める味と香りのQ&A』、柴田書店。

村田純一[2019]『味わいの現象学――知覚経験のマルチモダリティ』、ぷねうま舎。

※本稿は、『「美味しい」とは何か――食からひもとく美学入門』(中公新書)の一部を再編集したものです。


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