KNUの森で軍事訓練中のニンウィンピュ(左下)たち

ヤンゴンから来た一児の母、ニンウィンピュ(27歳)と鉄道員ゾーミントン(30歳)夫妻も、そんな若者たちと同じ気持ちだった。幼なじみで、6年前に結婚した。鉄道員は、医療従事者たちに触発され、いち早く市民不服従運動に参加したことで知られている。

クーデターから1週間が過ぎた2月8日。全国で鉄道の信号が消え、列車が止まった。物流を止めて軍政に打撃を与えることが狙いである。退職間近の50代の職員たちが鉄道をようやく動かしたが、線路に寝転び列車を止めようとした鉄道員もいた。

「仕事に戻れ」。約300人の軍兵士や警官がゾーミントンら鉄道員の居住区を急襲した。鉄道員とその家族らの大半は逃げ切り、避難先から運動を続けた。だが、殺害される市民は増大していく。

「軍政下では未来はない」。夫妻は1歳の娘をニンウィンピュの母親に預けて、KNUの森へ向かったのだ。「どうか気をつけて」。母は祈るようにそれだけを言った。5月下旬のことだった。

すでに、大勢の若者たちが軍事訓練を受けていた。2人が入ったグループには20代を中心とした男女48人がいた。早朝のランニング、ほふく前進、銃の扱い方の練習、攻撃方法の理論の勉強などで1日が過ぎ、午後9時からは夜警も行った。

「わたし、太ってるからうまく走れなくて」。ニンウィンピュは笑う。「でも敵が来てもみんなを守れる、と思うと嬉しかったわ」。3発の実射で1ヵ月の訓練は終了し、ゾーミントンは国軍との戦闘に参加する意志を教官に告げた。

間もなく、その日が来た。2人が滞在していたキャンプにいた50人ほどの男たちが戦闘に向かうことになった。見送る妻たちは泣いていた。「泣かないで、って励ましたんだけど」。夫と仲間たちが乗ったボートが川岸を離れ、森の奥深くへと消えた時、ニンウィンピュも涙をこらえられなかった。