犠牲者を追悼する学生たち

しかし、国軍は抵抗の意志を挫くために武力弾圧を強める。21年4月、2人が住むヤンゴン近郊の町にもロケット弾が撃ち込まれ、国軍兵士がなだれ込んだ。国軍の侵入を防ごうとバリケードを築いた若者たちが次々に倒れた。「何の音?」。無気に外を覗こうとする息子をスコーピオは抱きしめて、家の奥で身を潜めた。

国軍は、民主化運動で名が知られた者を捜し始め、エリース一家にも危険が迫っていた。兵士が住居に押し入った時、すでに一家は別の場所に避難した後だったが、捕まるのは時間の問題だった。KNUの避難民キャンプから戦いを支援しよう。夫婦でそう決めた。

「僕たちはなぜ逃げているの?」

息子が尋ねた。

「パパたちを逮捕しようとしているからだ。軍事政権に反対しているからね。君の未来のために良いことなんだよ」「これから行く所は、エアコンはないけれど安全よ」。

両親の言葉を息子は素直に聞いていた。それからの8ヵ月間、一家はKNU支配地域の山中に作られた避難民キャンプで暮らした。エリースは割り当てられた小屋の片隅に簡素なベッドを置き、クリニックを開いた。息子は大自然の中で元気いっぱいだった。