黒歴史となった引率旅行

今から15年ほど前、私は姑を含む11名のイタリア人女性たちを引率して2週間日本各地を巡ったことがあるが、私にとってあの旅は人生における黒歴史として刻印されている。

参加者の平均年齢は65歳。イタリアから飛行機を乗り継ぎ、約20時間の長旅であったにもかかわらず、成田空港の到着ゲートから出てきた彼女たちは恐ろしいほど元気だった。

時差も疲労もそっちのけで、新宿のホテルにチェックインするやいなや、散策に出かけると言い張って聞かない。

目を離せばあっという間に皆散り散りになってしまうし、気がつくといつも引率者である私が列の一番後ろを追いかけてばかりいる。

止めるのも聞かずにさっさと入ってしまった某老舗の喫茶店では、疲れ果てて居眠りをしているサラリーマンたちを「日本を紹介するテレビで見た」と写真に撮りまくり、夕方の満員状態の地下鉄に乗り込めば、帰宅ラッシュ時の静まり返った車内で、「あんたんちのトマトソース、どこのメーカーの使ってる?」などと、どうでもいい会話を大声で交わし合う。

飛騨高山では集合場所のバス停に時間になってもひとりも集まらず、目的地だった白川郷に行くことは叶わなかったし、金沢の旅館では大浴場の暖簾の「姫」と「殿」を判別できず、全員「殿」の方に入ってしまった。

寿司や天ぷらといった和食には2日で飽きてしまい、結局後半は連日イタリア料理を食べ続けた。